セクシュアリティ


命そのもの、生命力、性エネルギー、カリスマ性、オーラ、人を惹きつける魅力、性的な魅力。


【傷みの数だけ愛をとめている】

新生児はセクシュアリティの塊です。泣いているだけで人々を惹きつけます。そこにはパワーがあるからです。私たちはパワーに惹きつけられます。パワーを抑え込んで生きているからです。自由に泣いたり笑ったり怒ったり、開放的に生きていた時代を過ぎ、私たちは抑圧を覚えました。多くの大人たちがそうしてきたからです。自身を受け取ってもらえないと感じた度合いだけ、心を閉ざしました。愛されないという体験。それらは真実ではありませんが、私たちは心を閉ざしたのです。そして、それら個々の体験は再び心を開くためだけにあります。あの時愛されなかったのではなく、私たちが愛することを止めたのだとしたら? 私たちの内側に眠る愛、大きなパワーに興味を持つことを始めてください。

【愛することを諦めている】

セクシュアリティとは、性的な魅力のことでもあります。赤ちゃんとしての性から大人としての性まで、性的な魅力は様々です。多くは両親の背中から無意識に学びますが、大人になる過程でたくさんの思い違いをして私たちは存在を隠すようになりました。彼の前では出せるけれど親の前では出せない、といったことも思い違いのひとつです。私たちの真の快楽は愛することにあります。抑圧された心を開放し、自己を表現し、どんな時も愛で在ることを知るだけで、私たちの人生は快楽に満たされていきます。あなたが諦めた愛があるとしたら、それは誰への愛ですか? それを使って自分を愛することを諦めているとしたら。内側にあるまだ気づかぬ愛に興味を持ち続けるだけで、私たちの人生は一変するでしょう。

【絶望と怒りと情熱の関係性】

愛することを諦めた領域で、私たちは深く絶望しています。もう2度と愛さないと絶望し続けるために、怒りを使って愛を止めています。そして無意識の領域に埋め込んでいるのです。この怒りの質量は、あなたの愛が深いことの証でしかありません。怒りとは大きなエネルギーのことです。絶望するために怒りを使う時、その大きなエネルギーは攻撃性を伴って、自身、同時に周りの人々を傷つけています。私たちの絶望の物語には魂の物語が隠れています。私たちは、愛したい生き物なのです。絶望レベルの怒りを観ていくと、必ず愛にたどり着きます。そして、絶望を愛する情熱へとシフトすることが可能になります。

【共鳴・共振を使って心を開く】

愛されなかった体験を使って、愛である自分を抑圧し、怒りを使って絶望した度合いだけ、私たちは頑なになります。もう愛さないと心を閉ざし、世界の観え方を変えようとはしません。傷つくことを避けるために人を避けて生きるようになります。私たちは影響を受けあって存在しています。人には共鳴・共振する仕組みがあります。人との出会いを避ける選択は、過去の傷を固定化させることになります。人との傷は人でしか癒せません。もしあなたが絶望から抜け出すことにチャレンジするなら、人と関わり続けることを選択してください。「セクシュアリティ」は私たちの絆の源です。

【麻痺した感覚を呼び覚まし感度を高めていく】

人と触れ合う体験の中で、私たちは完全なる自己を知ることができます。完全なる自己とは、私たちは霊体であり肉体であるというバランスのとれた認識です。コミュニティの中で、あなたがあなたらしく居られないのであれば、人と同じ空間を長く過ごすためには、自分でいることを我慢する必要があると頑なに思っています。その苦痛は過去の人間関係、または両親から学んだ思い違いによるものです。どんな場所でも、誰といても、自分を愛し続け、自分の歓びを選択してください。そして、その歓びを表現することにチャレンジしてください。本来私たちは他の誰ともぶつからないのです。違和感や不快感、あなたがあなたのために感じる感覚を大切にしてください。

【未来の喜びを感じとるリーダーシップ】

怒りを使って抑えている情熱を開放することに興味を持ち、感覚を優先し、自分で自分を歓ばせ続けることで、未来をたえず受け入れて動き続けるようになります。動けなくなるほどの恐れは、過去という考えの中にあるからです。私たちが何を自分に取り入れるのかは、全て自分が決めていることです。だから、歓びを受け入れることを決めるだけで良いのです。母を始め、ご先祖様から受け継いだ悲しみ癖を、歓び癖に変えていくことができます。悲しみの数だけ歓びがあります。歓んでいるうちに自分以外の誰かの歓ぶ顔が見たくなります。祝福の日々が始まると私たちの人生は歓びだけに彩られていくことでしょう。